
民謡紹介のページです。
今回は宮崎県の民謡、稗搗節を紹介します。私達は構成詩吟といって、2番の後に松口月城がつくった『稗搗の歌』という詩吟を入れ、最後に5番を唄う民謡と詩吟で構成された歌にして練習しています。
稗搗節(ひえつきぶし)
一
庭の山椒の木鳴る鈴掛けてヨ
鈴の鳴る時出ておじゃれヨ
ニ
鈴の鳴る時何と言うて出ましょヨ
駒に水くりょと言うて出ましょヨ
三
おまや平家の公達(きんだち)ながれヨ
おどま追討の那須の末ヨ
四
那須の大八 鶴富(つるとみ)捨ててヨ
椎葉立つときゃ目に涙ヨ
五
泣て待つより野に出て待つヨ
野には野菊の花盛りヨ
詩吟 稗搗の歌
詩吟
屋島の浜壇の浦の辺り
平家の末路又憐れむ堪えたり
残党隠遁す上椎葉
山岳深き処 炊煙を見る
哀話綿々 栄華の夢
稗搗の俚謡 今に至まで伝う
稗搗節は宮崎県椎葉村の民謡である。
この歌は書いて字のごとく稗を搗く際に歌われた労作唄で、臼(うす)と杵(きね)を使って稗を搗いた。杵は餅をつく時に使われている物ではなく、通常は真直ぐな棒の真中がややくびれたものを使う。
この稗を搗く作業は、村人が協力しあって行うものだったので、作業を通じて男女が知り合うこともあった。
この事から、下記の伝説を元にして悲しい恋の唄が出来たと言われている。また、山椒の木に鈴を掛けるのは南九州地方の風習で、神が山椒の木に取付くと言われている。
この唄の元になった悲しい言い伝えとは。。。
壇の浦の戦いに敗れた平家。その末裔は現在の宮崎県東臼杵郡椎葉村に逃げのび、落ち人としてひっそりと隠れ住んだ。
しかしこの事を知った源頼朝が、あの弓の名手、那須与一宗高(屋島の戦いで船上の平家の扇子をいぬいた事で有名)に平家追討命令を出す。しかし、那須与一は病気だった為、兄の与一に変わって弟の那須大八郎宗久が追討に出た。
そこで大八郎が目にしたものは、かつての栄華もよそに、ひっそりと隠れ暮らす平家一門の姿。哀れに思った大八郎は、鎌倉幕府に「討伐を果たした」と報告し、自分はこの地に留まり平家の守神である厳島神社を建てたのである。
そして大八郎は平清盛の末裔鶴富姫と出会い恋に落ちた。
二人は密かに逢瀬を重ね、鶴富姫はめでたく御懐妊。
そんな幸せの中、源頼朝より鎌倉帰還命令が届いてしまう。
大八郎は鶴富姫に名刀「天国丸」を与え、「男の子が生まれたならば、我が故郷下野の国(現在の栃木県)へ、女の子が生まれたならば、この椎葉の地で育てるように。」と言い残し、なくなく鎌倉へ帰還した。
鶴富姫は女児を出産し、この地で大切に慈しみ育て上げた。